イマーム フサイン(AS)がメディーナから巡礼のためにメッカへ旅だっとことと彼のヤズィードに対する抗議の情報がクーファに伝わると、皆が彼をクーファに招く用意をし彼をイスラームのカリフそして指導者として選んだ。
彼らはそのメーッセージを書簡と巻物と共にメッカに送り、正式にイマーム フサイン(AS)
を招待した。その数は1万2千通におよび、それぞれの招待状には複数の署名があった。
しかしイマームは、彼の父と兄に対する彼らの不誠実さを目の当たりにしていたのでクーファの人々の不誠実さをよく知っていた。そこでイマームは「間近で下見をし、もし状況が相応しいのであれば呼ぶように」と、従兄弟のモスレムをクーファに遣わした。
モスレムはイマーム フサイン(AS)の命じたところに従い、クーファへと向かった。彼がクーファに就くと人々からの手厚い出迎えを受けた。
何千人もの人がモスクにおいて彼に忠誠を誓い礼拝を捧げた。
モスレムはイマーム フサイン(AS)に手紙を書き、今すぐクーファへ向かって出発することを求めた。
イマーム フサイン(AS)はズ ル・ヒッジャ(イスラム暦12月)8日までメッカに留まり人々に演説をした。ヤズィードに対する人々の反対を奨励すると、クーファのあるイラクへの道を進みだした。